五節句という風流な日本の行事を大切にしよう

五節句とは

「五節句」は季節の草や木に関連していて、
目的は、季節に応じた植物を食べることで邪気を払うことです。

※「五節句」の制度は明治6年に廃止されたのですが、
今では民間行事として定着しています。

●人日(じんじつ):

1月7日 お正月の七草・・・(七草粥)
14.10.25五節句1
陰暦正月七日をさします。
中国の古俗に、1日から6日までは獣畜を占い、
(元旦に鶏、2日に狗、3日に猪、4日に羊、5日に牛、6日に馬)
7日には人を占うところから人日といいました。

日本では正月の初めの子の日に若菜を摘む春の野遊びの風習があります。
これが中国の故事と習合したものと言われています。

新しい年の初め、一年の健康を祈る日に、春の訪れを予感させる若菜を
粥に仕立てて食べ、年中の無病息災を祈ります。

【春の七草】
芹(せり)、薺(なずな)、御形(ごぎょう)、はこべら、すずな、すずしろ、仏の座(ほとけのざ)の
7種類の春の草をいれたお粥を食べます。

●上巳(じょうし)

3月3日 3月の上巳の桃・よもぎ・・・(桃花酒→江戸時代以降は白酒)

14.10.25五節句2

古代中国には、三月の初めの巳の日(上巳・じょうし)を悪日として、
川辺に出て不浄を除くため水で祓(はらい)を行うという風習がありました。

漢の時代、「徐肇」という人に女の三つ子が生まれましたが、
三日後に三人とも死亡してしまいました。
人々は何かのたたりだと考え、水浴をして忌み汚れを流し禊(みそぎ)をおこないました。
この日がちょうど初の巳の日であったのだそうです。

日本にも古来より、人形(ひとがた)に不浄を託して川や海に流して、
災厄を祓うという風習がありました。

やがて雛人形として飾られ女の子の成長を祝う行事になりました。

そして、この二つが合体して「上巳の節句」となりました。

桃の節句と呼ばれるのは、その季節のものでもあるけれど、
桃には邪気を払うという魔除けの信仰があったからという理由も含まれています。
(桃太郎もここから来てますね)

●端午(たんご)

:5月5日 5月の端午の菖蒲・・・(ちまき→江戸時代以降は柏餅)

14.10.25五節句3
端午の節句は男の子の成長を祝う子供の日です。

「端」とは初めを意味する言葉。

5月は、春から夏への季節の変わり目なので、疲れが出たり病気になりやすい頃です。
端午の節句に菖蒲湯に入浴したり、菖蒲の酒を飲み、菖蒲枕に眠るなど、
その時期に盛りを迎える菖蒲を様々な形でふんだんに用いています。

その理由は、菖蒲には、その葉から出る強い香りが健康を保ち、
邪気を祓(はら)う力があると信じられ、薬効だけでなく、
家の軒に菖蒲を飾って邪気を祓うという迷信から始まっています。

5月のイメージでは、四季としてはとても爽やかないい季節なのですが、
季節の変わり目で、悪月とされ、
5月5日生まれの子供は成長すると親に害をなすという俗信があったのです。

この日には百草を踏み、薬草として用いられた蓬(よもぎ)で
人形(ひとがた)や虎の形に作ったものを門戸にかけて毒気を払ったと言います。

また、菖蒲も重要なものでした。
「菖蒲かずら」として冠や髪飾りに取り付けて厄除けとしました。
宮廷では端午の当日には、菖蒲を屋根に葺き、薬玉を作って身に帯びました。

江戸時代になると、民間でも 菖蒲の長さを競う「根会わせ」の競技や、
菖蒲立ちを腰に差して「印地打ち」などの行事となっていきます。

さらに中世以降、「菖蒲」は「尚武」(武を尚ぶ)に通ずることもあって、
男子の節句として盛んになりました。

鎧や兜を飾ることは、武家社会から生まれた風習です。
身の安全を願って神社にお参りするときに、
鎧や兜を奉納するしきたりに由来しています。

現在は鎧兜が“身体を守る”ものとされ、
交通事故や病気から大切な子どもを守ってくれるようにと
願いも込めて飾ります。

また、鯉のぼりは、江戸時代に町人階層から生まれた節句飾り。
鯉は非常に生命力の強い魚です。

その鯉が急流をさかのぼり、
竜門という滝を登ると竜になって天に登る(登竜門という言葉の由来)という
中国の伝説にちなみ、子どもがどんな環境にも耐え、
立派な人になるようにと願う飾りです。

●七夕(しちせき):

7月7日 7月の七夕の竹・瓜・・・(さくげ→江戸時代以降はそうめん)

14.10.25五節句4

七夕は奈良時代の宮中行事として行なわれるようになったと言われていますが、
「芸事」の上達を願う意味合いの強い節句です。

691年の持統天皇の頃からすでに行われていたもので、
中国から伝わった牽牛星と織女星の星祭り伝説と
日本の古来からの「棚機つ女(たなばたつめ)」の伝説が合成されて
七夕の日として定着しました。

女子が裁縫や手芸、書道の上達を願う行事でもあります。

また、7月7日は令に定めた節日のひとつで、
古来の神祭の日としての天皇相撲御覧と文人による七夕の賦詩の宴が行われましたが、
平安時代になって、相撲の儀は変更されて星の祭りとして盛んになりました。

江戸時代には、邪気を払うために、索餅・冷素麺を食することも行われました。
和歌や願い事を書いた五色の短冊・色紙・切り紙細工を笹竹にとりつけて、
家ごとに掲げる楽しい祭りとなっています。

●重陽(ちょうよう):

9月9日 9月の重陽の菊・・・(菊酒)

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菊の花の香りのお酒でお月さまを愛でる菊のお節句です。
仙人彭祖(ほうそ)が捧げた菊酒を飲み長寿を保った魏の文帝にあやかって
不老長寿を願う行事である。

現在では菊の品評会を開かれています。

中国の陰陽五行思想では奇数のことを陽数といい、
特に9月9日は九という陽数が重なる(重陽)めでたい日として重んじました。
この日には主に長寿を願う祓い事が催され、
菊の花が邪気を払い長寿に効くと信じられていたので、
菊の花びらを浮かべた菊酒を飲みました。

また、中国には、この日「登高」称して丘にのぼり、
一日の行楽に山野を眺めながらの酒宴をひらき気を養う風習がありました。

酒宴では、髪に赤いカワハジカミの実のついた枝をさして菊花酒を飲み、
長寿と共に邪気を祓(はら)い災厄を除くことを願ったといいます。

カワハジカミの実は体内の毒気を除く妙薬、菊は延命長寿の霊薬と考えられていたのです。

日本でも、天武天皇のころから菊花の宴が行われるようになり、
平安時代には「菊綿(きくわた)」という風習も行われるようになりました。

「菊綿」は、「菊のきせ綿」ともいい、
八日のうちに菊の花の上に真綿をかぶせておき、
翌九日の朝、菊の露でぬれたその綿で肌をなでれれば、
若さを保つことができるといわれ、
平安時代の女官たちの間でもさかんに行われていたようです。

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この様に五節句はもともと全て中国から日本に入ってきた思想であり
日本において変化し生活に定着したもの。

数字において中国は奇数を嫌い日本では良しとしました。
日本人の感覚からか2で割れる(分かれる)偶数を良しとはしないのである。

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